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2018年10月 4日 (木)

武田家終焉の地、景徳院(山梨県甲州市)

1582年。
織田・徳川連合軍に敗れた武田家。

武田家が滅亡し、遺臣の多くは
徳川家康の家臣となった。

その徳川家康に仕えた武田家遺臣たちが
武田勝頼と殉死者を弔うために創建したお寺。

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何度か焼失に遭っている中、
唯一、焼失を免れた山門(1579年築 山梨県指定文化財)がある。

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そして。
境内には武田勝頼夫妻の最期にまつわる史跡がある。

武田勝頼と正室北条夫人が自害したと伝わる生害石

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勝頼夫妻と、嫡男武田信勝のお墓
勝頼の200周忌にあたる1775年に建てられた供養塔。

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その中で。
勝頼の正室、北条夫人に注目してみた。

北条夫人北条氏康の6女。

長篠の戦いで敗れた後、
北条氏との関係を強化するため、
正室として迎えた女性。

その後、勝頼と運命を共にし、この地で自害。
この時、わずか19歳だったという。

自害の仕方が分からず、
順番を間違え、短刀を喉に突き刺した。
苦しむ夫人を見かねて勝頼がとどめを刺したとも伝わっている。

そんな短い生涯を終えた北条夫人
彼女の遺骸を葬った場所が没頭地蔵尊として残っている。

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最初の目的は武田勝頼のお墓参りだったけど、
時代に巻き込まれ、若くして亡くなった北条夫人

彼女の存在を知り、
こっちに心を奪われてしまった。

おまけ。
JR中央線甲斐大和駅前の
武田勝頼像

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pencilメモ
住所…山梨県甲州市大和町田野389
駐車場…無料℗あり
滞在時間…20分
その他
 ①お寺ふもとと境内に駐車場がある
 ②景徳院周辺には戦場跡地が点在している

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